真田太平記
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淀君によって大阪城から一歩も外に出されたことのなかった秀頼であったが、豊臣家を思う加藤清正らの奔走によって、ついに二条城において家康との対面が実現する。しかし立派に成長した秀頼の姿は、あらためて家康に豊臣家取潰しの決意を固めさせ、甲賀忍びに清正毒殺の使命が下る。東西手切れに向かって情勢が緊迫化する中、その日を見ることなく真田昌幸は九度山で永眠する。





淀君によって大阪城から一歩も外に出されたことのなかった秀頼であったが、豊臣家を思う加藤清正らの奔走によって、ついに二条城において家康との対面が実現する。しかし立派に成長した秀頼の姿は、あらためて家康に豊臣家取潰しの決意を固めさせ、甲賀忍びに清正毒殺の使命が下る。東西手切れに向かって情勢が緊迫化する中、その日を見ることなく真田昌幸は九度山で永眠する。
「私は、いまこのときのために生まれ、生きてきたかのように思われます」。父の不運の理非を確かめたい一心で故郷を出奔して十一年。因果のめぐりあいに鍛えられ、多くの縁に導かれ磨かれた二十五歳の安兵衛は、恩人の助太刀に、全てを投げうち馳せつける。それはまた新たな運命の幕開けでもあった―高田の馬場の決闘と忠臣蔵の二大事件を疾けた、義士随一の名物男の、痛快なる一代記。
十四歳の春、越後・新発田藩の家来中山弥次右衛門の一人息子、安兵衛は、行きずりの山伏に「いまの世に剣をとって進むとき、おそらく安兵衛どのは短命であろう」と断言される。泰平の世に厳しい剣術の鍛練を強いる父を憎んですらいた彼は、もとより力による争いごとより学問を好んでいた。が、濡れ衣による父の非業の自死を見届けた瞬間から、「短命」への歯車は、静かに回りはじめた...。
将軍のあやまちを正すためには赤穂浪士の吉良邸討ち入りを成功させるほかないと判断した月森十兵衛は、同じ“秘命”をおびる大身旗本・中根正冬と秘策を練る。しかし、討ち入りに備えて吉良邸は防備を固め、赤穂浪士の側も江戸の強硬派と大石内蔵助の思惑が一致せず、あわや上野介は米沢藩にひきとられそうになるのだが...。公儀の歪みを正す剣豪の活躍を描く忠臣蔵外伝。